仁尾町公民館「令和5年度郷土を学ぶ」
6月22日(木曜日)、仁尾町公民館による「郷土を学ぶ」が開催されました。
長年継続して開催している「郷土を学ぶ」は、地元の郷土や歴史・自然を再確認し伝承することを目的とした講座です。今回は、模造真珠について、32名の方が受講されました。
まず、講師の塩田健治氏から模造真珠の原玉加工についての講話から始まりました。
模造真珠は、仁尾町の戦後の経済復興に大きな力を発揮し、一大産業となったそうです。模造真珠とは、丸い玉(原玉)に箔を塗り、本物の真珠のようにしたものです。
模造真珠が出来るまでの加工過程で仁尾町の人たちが主として携わったのが、原玉加工です。原玉加工は、抜き易いように「ス」を付けた針金にガラス玉(生地)を石油ランプで溶かし、丸く巻き付ける作業です。右手に生地を持ち、ランプの火で生地がよく溶けた所で、左手で針金を回しながら生地を巻き付け、丸く仕上げるという技術には年季がいったそうです。
当時の町職員の初任給は約5,000円だったのが、腕のいい原玉加工職人は月収30,000円だったそうです。原玉は、町内の集荷業者から大阪泉町のメーカーに送られ、ここで箔を塗り完成品にして米国へ輸出されていました。原玉加工には人手を必要とします。巻き付けた玉を針金から抜く作業、大きさを揃える選別作業、それを糸に通す作業など小さい子どもからお年寄りまで家をあげての家内工業となりました。ブームが頂点になった頃は、ほとんどの家庭が何かの形で原玉加工に関わっていた時代でした。
仁尾町には当時塩田という基幹産業があり、特産物としてミカンがありましたが、町内全域に大きな収入をもたらした原玉加工業は、混乱した戦後経済の救世主であったことは事実でした。しかし、そんな原玉加工も昭和27年頃をピークとして次第に下火になったそうです。
講話の後、受講生の方から質問をいただき塩田さんに回答してもらいました。
主な質問応答は、次の内容でした。
質問:どうして模造真珠が仁尾町で盛んになったのですか?
回答:大阪で住んでいた仁尾町出身の人が持ち帰ったことがきっかけで、事業として始まったのですがまさか大きな産業になるとは思っていなかったそうです。
質問:模造真珠の完成品を仁尾町の人は身につけたのですか?
回答:ガラス玉なので身につける人はいなかったそうです。
続いて、模造真珠の原玉加工を体験してみました。実際にやってみると針金にガラス玉を巻き付ける作業が難しく、なかなか上手くできない方たくさんいました。上手く出来た方は、ペンダントにしようと嬉しそうでした。
同じ三豊市に住んでいながら、仁尾町で模造真珠が盛んだった事を知りませんでした。今日は、講話を聞いただけでなく、体験まで出来て大変勉強になりました。塩田さんも思っていた以上にたくさんの受講生が集まってくれた上、反響が良かったことに感動されていました。今後も模造真珠について語り繋いでもらいたいと思いましたが、指導ができて加工道具をお持ちの方が塩田さんしかいらっしゃらないらしく、材料も揃わないとの事でした。また、このような機会をつくってより多くの方へ語り継いでいただきたいと思いました。
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更新日:2023年07月06日