四国霊場 70番札所 本山寺
本山寺

大同2年(807)、弘法大師空海により開基され、本堂は大師の一夜建立と伝えられる。JR本山駅の南東約1キロメートルの寺家と呼ばれる古い門前町に中に鎌倉時代後期に建てられ国宝に指定されている本堂を初め、国指定重要文化財の二王門、天文12年と棟木に墨書がある鎮守堂、そして静謐とした美しい佇ずまいをみせる五重塔がそびえています。
本尊は、馬頭観音。彫刻の作例としては非常に珍しい請雨秘宝の霊神という善女龍王像、頭髪を逆立て憤怒の形相をする愛染明王坐像、二王門の左右に安置されている金剛力士立像など数多くの文化財があります。
区分 |
名称 |
数 |
指定年月日 |
---|---|---|---|
国宝 |
本山寺本堂 |
1棟 |
昭和30年 6月22日 |
重要文化財 |
本山寺二王門 |
1棟 |
明治37年 8月29日 |
県指定有形文化財 |
本山寺鎮守堂 |
1棟 |
平成 1年 2月28日 |
県指定有形文化財 |
木造善女龍王像 |
一躯 |
昭和63年 2月26日 |
県指定有形文化財 |
木造金剛力士立像 |
二躯 |
平成 9年 5月23日 |
県指定有形文化財 |
木造愛染明王坐像 |
一躯 |
平成 9年 5月23日 |
県指定有形文化財 |
本山寺蔵経文板木 |
83枚 |
平成11年 2月23日 |
町指定有形文化財 |
本山寺五輪塔 |
5基 |
昭和42年 1月1日 |
本山寺本堂 1棟

国宝(昭和30年6月22日)
【本山寺本堂 1棟 附厨子 三基 棟札の部分一枚】
桁行五間、梁間五間、一重寄棟造、本瓦葦。
瀬戸内海沿岸地方は折衷様の多いところであるが、本堂は折衷様遺構の最古のものである。この本堂は正応年間京極近江守氏信の寄進による心道上人の建築と伝えられているが、昭和28年2月からの解体修理の時、礎石に「為二世恙地成就同観房正安二年三月七日」(1300年)という墨書銘が発見され、この年工事が行われたことが知られている。前二間通りを外陣とし、中央は三間二間の内陣、その周囲一間通りを脇陣、後陣とする。正面五間には蔀戸、側面第一の間は桟唐戸で、つぎを引違格子戸とし、他は背面中央を桟唐戸とする。他はすべて壁あるいは低い片引戸としている。組物は出組であるが、支輪を用いず三斗上と間斗束上に板蟇股をおく。外陣内部は前後に虹梁をかけ、大瓶束を立て頭貫を回し、三斗(上をおいて周囲の化粧屋根裏と、中央の格天井とに分けている。内陣も前後に虹梁を渡し、板蟇股をおいて格天井を設けている。
仏壇および厨子は当初のもので、建築的な厨子としてもっとも古いものである。
寺伝によると大同二年(807年)弘法大師の開基と伝えられている。本堂棟札の墨書によると、暦仁二年(1239年)建長七年(1255年)に修理され、正応四年(1291年)本堂破損再建と書かれている。
二王門

県指定重要文化財(明治37年8月29日)
円柱の柱が前列・中列・後列にそれぞれ四本づつ合わせて十二本の門である。まん中の柱が本柱で、前後別の柱は控柱とよばれ八本あるので入脚門という。控柱には天竺様式の粽がある。
切妻造、本瓦葦、軒は二重繁垂木、組物は和様三ツ斗である。肘木の両端には禅宗様式(唐様式ともいう)の象鼻に似た絵様繰形があり、冠木が両側の本柱を貫いて、外方に長く突き出し、その上に唐様の簑束が用いられ、虹梁には袖切眉形を施している。また木鼻の上には天竺様(大仏様式ともいう)の特色である皿斗が用いられている。和様、唐様および天竺様の手法を多く取り入れて、それを大胆奇抜に組合せた全国にも他に類例のない貴重な建築である。折衷様式は鎌倉中期ごろにあらわれたもので、この門も蟇股・斗きょうその他の手法から鎌倉中期の建築であると思われる。
もとは本堂の東南にあったものを、享保九年(1724年)丸亀藩主京極家によって本堂の南の現地に移転したと伝えられる。
瀬戸内海沿岸地方の建築が、和様の上に強く天竺様の構造的手法をとり入れてここに新生面をひらいたのは、東大寺再建の賓任者であった重源が、瀬戸内海沿岸地方に足跡を印していることに大いに関係があると思われる。
木造金剛力士立像


県指定重要文化財(平成9年5月23日)
本山寺鎮守堂

県指定有形文化財(平成元年2月28日)
鎮守堂は、庇を閉ぎした前室型平面の三間社流造、本瓦葺で、身舎の妻飾や庇等の形式から一七世紀末の建造物ではないかと推定されていた。
昭和59・60年度にわたる解体修理の過程で、身舎の棟木・肘木から「天文十二年」 「天文十六年」の墨書が発見され、1543(天文十二年)年着手、1547(天文十六年)年の建立になる。室町時代末期の当初材を残す小規模ながら中世以来の伝統様式を踏まえた建築物であることが確認されるとともに、その後の大修理が江戸時代中期の1714(正徳四年)年に実施きれたことも判明した。解体修理に当たっては、庇や妻飾の細部に江戸時代の中期の様式を残すものの、外観は可能なかぎり室町時代の建築様式に統一され、屋根については建立当初の葦材と推定される桧皮葺に復元された。
県内の国・県指定文化財である木造建造物は合わせて46棟を数えるが、当鎮守堂は天文年間の建立が明確になった現在、年代順にみて9番目に位置することになる。建立以来今日まで修理の手が加えられているとはいえ、中世建築物として歴史的価値が高いだけでなく、随所に建築に携わった工匠たちの心配りを感じることのできる意匠的にも優れた建築物となっている。
本山寺 五重塔

こんもりした森の中にひときわ高くそぴえる五重塔の姿は、まさに本山寺の象徴ともいえるものである。明治四十三年十二月九日に、五万余人の参詣者を集めて、牛二頭、餅五千個の投物によって落慶式が行われた。明治二十九年八月に着手、三十一年十一月第一層、三十三年九月第二層、三十六年二月第三層、四十三年三月第四層、第五層が洛成する。総工費は十万百十一円二十二銭七厘であった。棟梁は平間美能介勝範と多田寅市である。
この五重塔の建立年代は明治であるが、江戸時代の延長線上に位置づけられる塔としての価値が認められる。各重柱ともに中央間十二枝、脇間十杖とする平面で、支割の落ちがなく同一であり、軒の逓減も極めて少ない。初重中央には仏壇を置き、心柱は三本継ぎでつるしており、初重までは延びていない。全体のプロポーションや三手先斗きょうの尾垂木繰形等に良く時代相を示している。
木造善女龍王像

県指定有形文化財(昭和63年2月26日)
腰をひねり両袖をひるがえして飛雲上に乗る本像の形姿は動勢が巧みに表現され、また載金、金泥盛上手法などを交えた入念な彩色などに小像ながら当代の彫像としては佳品として評価できる。
善女龍王は天長元年(824年)に弘法大師空海が京都神泉苑において雨請いの修法を行った折、その勧請によって姿を顕したといわれている請雨秘法の霊神である。高野山に伝わる定智筆の国宝画像が特に有名な尊像として知られるいる。その他にも奈良室生寺・滋賀大通寺・京都醍醐寺などにも定智筆の画像を写した鎌倉時代の作例がある。しかしいずれも画像であり、彫像の作例は現在まで紹介されていない。
本像は彫像による善女龍王像の作例として貴重であり真言密教関係の像で他に例のないものである。従って本像は香川県の文化財として価値が高く、また当地方の信仰史の一面を語る資料として貴重な意義深い彫像である。
像容は、桧の寄木造であり眼は玉眼がん入である。光背は三方火焔付き輪光で、台座は、須弥座の上に岩座及び雲座を重ねてある。顔は青く長いひげをつけ、爪の長い左手には宝珠を持つ。服装の表面は全面に装飾があり、緑青・金泥で描かれた文様などによく彩色が残っている。
像高47.5センチで製作年代については南北朝時代と思われる。
木造愛染明王坐像

県指定有形文化財(平成9年55月23日)
本山寺蔵経文板木

県指定有形文化財(平成11年2月23日)
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更新日:2020年03月02日