「母にもう一度、花のある暮らしを」夫婦で育てた志々島の花畑_高島直宏さん、千鶴さん(60代)

更新日:2026年09月11日

かつて花き栽培が盛んだった三豊市・志々島。島民の高齢化や人口減少により、13年前には花き栽培をしていた農家がすべて廃業しました。
現在、島の高台で花畑をつくり、手入れを続けているのが、高島さんご夫婦と、夫・直宏さんのお母さまの孝子さんです。
春には、芝桜やキンセンカ、ネモフィラなど、色とりどりの花が咲き、花の見ごろとなる4~5月の週末は定期船では積み残しが発生するほど観光客が来島しています。
2022年にはGoogleランキング【都道府県名と一緒に検索された言葉(香川県部門)】で3位にランクインするほど、注目されています。

志々島で花畑の手入れをしながら、釣りや畑仕事など、島での時間を楽しんでいる高島直宏さん、千鶴さんご夫婦。夫の直宏さんは志々島の出身で、小学5年生まで島で暮らしていました。
島の小学校が廃校になったことから、小学6年生で多度津町へ移り、その後は高校、大学、就職と島を離れて生活してきました。就職後も多度津町で暮らし、
妻の千鶴さんと結婚してからは仕事や子育てのため、志々島へ帰るのはお盆やお正月が中心だったといいます。
子育てが一段落した頃から、夫婦で志々島へ通うようになりました。
「第二の人生というか、こういう遊びをしようかという話になって。」
週末を中心に島へ通い、魚を獲ったり、海で遊んだり、花畑を手入れしたりなど、「週末志々島暮らし」を楽しんでいます。
花畑は2015年頃、200鉢の芝桜から始まりました。そこから生まれた人との出会いやつながり、多度津町と志々島を行き来する二地域暮らしについて、高島さんご夫婦にお話を伺いました。

EPISODE.01「志々島を離れて、また島へ」

直宏さんが志々島へ帰る機会が増えたのは、父・長男(ながお)さんが亡くなったことがきっかけでした。
2013年、長男さんが亡くなり、母・孝子さんが一人で島に暮らすことになります。
それまで花き栽培を続けていた孝子さんは、志々島で最後の花農家でした。長男さんが亡くなった同年に、花づくりもやめることになります。
直宏さん夫婦は、孝子さんに多度津の家へ来てもらうことも考えましたが、夫婦が仕事をしている間は一人で過ごすことになります。
「それならもう孝子さんが好きなようにさしてやって、それを島に見に行ったらええわ。」
そう考え、週末などに志々島へ通うようになりました。
島で過ごす時間は、孝子さんの様子を見るだけではありません。魚やカニを獲ったり、友人を船に乗せたり、海で遊んだりしながら、島での時間を楽しんでいました。最初はジェットスキーで島へ通っていましたが、冬の寒さや荷物を運ぶことを考え、船も購入しました。

「海で遊んだり、山で遊んだりしようかなと。それも込みでお母さんも見に行くけど、自分たちの遊びというのも入れていた。」

夫婦にとって志々島は、孝子さんの暮らしを見守りながら、自分たちも島での時間を楽しむ場所になっていきました。

EPISODE.02「200鉢の芝桜から始まった花畑」

花畑づくりのきっかけをつくったのは、千鶴さんでした。
花き栽培をやめた孝子さんを見て、「寂しいんだろうな」と感じた千鶴さん。
そこで、まずは一角に芝桜を植えてみることにしました。
「ちょっと一画に芝桜を入れたら、ものすごくお気に入りになったらしくて。」
最初に植えたのは、200鉢ほどの芝桜。それをきっかけに、孝子さんとともに荒れ地を耕し、木を切りながら、少しずつ花を植える場所を広げていきました。
ご夫婦が志々島へ帰るのは、仕事が休みになる週末が中心。一方、孝子さんは平日も花畑に通い、花の手入れを続けました。千鶴さんは、孝子さんが自分を喜ばせようと花を増やしてくれていたのだと話します。
「私を喜ばそうと思ってね、するんやと思う」 夫婦も、自分たちが花を楽しむつもりで、少しずつ花を増やしていきました。最初から大きな花畑をつくろうとしていたわけではありません。
「自分たちが見て楽しめたらいい、という感じで、楽しくてどんどん増やしていったら、なぜか今みたいに大きくなってしまって。こんなに人が来るなんて、当時は思ってもみなかったです。」
200鉢ほどの芝桜から始まった花畑は、3人がそれぞれの時間に手を入れる中で、現在の広さまで広がっていきました。

EPISODE.03「花畑が知られるようになるまで」

花畑は島の高台、山頂付近にあります。そこへ続くのは急なあぜ道。車や重機が入ることはできず、肥料や道具なども自分たちで担いで運びます。現在92歳の孝子さんも、花畑の手入れを続けています。
「花の時期って一瞬なんです。1年のうち、花があるのは数か月ぐらい。それ以外の月は、草を抜いたり、土をつくったり、種を取ったりしています。」
週に3回程度島に行き、日の出とともに畑に上がって、島に行き、日の出とともに畑に上がって、日の入りまで作業します。
水やりに必要な水道や電気も、自分たちで整備しました。クラウドファンディングを活用してトイレを設置したほか、一年かけて休憩所をつくったり、子どもたちが遊べるブランコをつくったりするなど、花畑を訪れる人のための環境も整えてきました。
天候にも左右されます。雨が少ないと、種から芽が出なかったり、育てた花が思うように咲かなかったりすることもあります。
暑さで芝桜が弱り、さらにイノシシに掘り返されたこともあり、一度は花畑をやめようと思ったこともありました。
それでも、芝桜を植え直すなどして、花畑を続けてきました。
できることを少しずつ重ねながら、現在の花畑がつくられています。

EPISODE.04「花畑で生まれた、人との縁」

花畑を訪れる人が増えたのは、コロナ禍が落ち着いた頃からでした。
2022年には「花のまちづくりコンクール」で”大賞・国土交通大臣賞”を受賞。
2023年には香川県や三豊市の広報でも志々島や花畑が紹介され、多くの人が島を訪れるようになりました。
千鶴さんが特に嬉しいと話すのは、花畑をきっかけに生まれた人とのつながりです。
「いろんな人と出会って、いろんな人とおしゃべりさせてもらって、そのご縁がつながっていって。それが嬉しいので、やりたいなと思って。」
毎年のように訪れてくれる人もいれば、花畑で撮った写真や手紙を後から送ってくれる人もいます。遠方から何度も足を運んでくれる人との交流も、花畑で生まれたつながりの一つです。
花の見頃は春の限られた時期、そのため、時期を外して訪れた人から「何も咲いていない」と言われることもあります。
それでも、「花がなくても、この景色があるだけですごい」と言ってくれる人もいる。
「そういう人に出会うと、すごくテンション上がるよね。それだけで気持ちが報われた気がする。」
花を育てることだけでなく、花畑で生まれるさまざまな出会いが、ご夫婦と孝子さんにとって大切なものになっています。

EPISODE.05「花畑とともに続いていく志々島での暮らし」

2025年5月末、直宏さんは長年勤めた会社を定年退職しました。
長く橋梁メーカーに勤めてきましたが、現在は釣りをしたり、農業大学校で野菜づくりを学んだりしながら、畑仕事にも取り組んでいます。
花畑の手入れだけでなく海や山で過ごすなど、ご夫婦で自然の中で過ごす時間も楽しんでいます。
「仕事しまくっている時に比べたら、土いじりが楽しい。人間関係もなんもないし、幸せや。」
花畑はこれ以上広げるのではなく、今ある景色をこれからも維持していくことを大切にしています。
「去年のきれいな花畑を、次の春にも同じように見せられるのかというのが一番大変。」
これから直宏さんがやってみたいと話すのは、友人たちが集まって遊べる「秘密基地」のような場所をつくること。
花畑を見るだけでなく、海で遊んだり、魚を獲ったり、畑で野菜を採ったり、バーベキューをしたり、かつて考えていたグリーンツーリズムのようなことを、商売ではなく友人や仲の良い人たちと楽しめる形でできたらと話します。
「みんなが集まれるところで、友達が来て、ギャーギャー言うて遊べるようなところを作りたい。」
花畑を訪れる人だけでなく、気の合う人たちと島で過ごす時間も、直宏さんが思い描いている志々島でのこれからです。
「人を大事にするっていうことは、孝子さんから教えてもらった。」
花畑を通して、さまざまな人と出会ってきた千鶴さん。実家近くの人が志々島まで訪ねてきてくれたことも、同級生が花畑を訪れてくれたことも、千鶴さんにとって心に残る出来事です。
孝子さんの花づくりから始まった志々島との時間。夫婦で島に通い、花畑を手入れする中で、訪れる人との出会いも生まれました。
これからも花畑を守りながら、二つの地域を行き来する暮らしを続けていきます。

(写真提供:高島さん)

※「高」は、はしご高です。

【取材後記】

今回の取材では、花畑ができるまでの経緯だけでなく、孝子さんとご夫婦の志々島での過ごし方や、花畑を通して生まれた人とのつながりについても伺いました。お話を聞く中で、花畑だけでなく、海や畑での時間も含めて、それぞれの楽しみを持ちながら島との関わりを続けていることが印象に残りました。志々島での時間を知る一つのきっかけになればと思います。