史跡・文化財 1

更新日:2020年03月02日

縄文式土器(縄文)と考古館 縄文

王どりをで模様の入った縄文式土器

昭和40年3月、「蟻(あり)の首」にある民家の内庭地下1メートルから縄文後期の土器が発見されました。祭具として使用されたもので、胴部の長径(左右)10.7センチメートル、器高8.3センチメートルというカボチャ型の広口型小壷で、ほぼ原型に近い状態で残っています。考古館には、これを含む旧石器時代から古墳時代にかけての土器や石器などが陳列されたり、当時の住居跡の変遷がパネルでわかりやすく展示されています。

吉吾鼻(きちごばな)古墳 古墳中期

草に周りを覆われた組み合わせ石棺の写真

積の稲荷神社の南側に「吉吾の鼻」といわれる東方に突き出た半島があります。ここに長径7.7メートル、高さ1.5メートルの古墳時代中期にものと推定される円墳が残されています。主墳から東9メートルの所には、組み合わせ石棺も残っています。

石でできた宗良親王王屋敷跡に記念碑が祀られている写真

宗良(むねなが)親王王屋敷跡 南北朝

左右に合掌する六菩薩、上部には十六羅漢が描かれている長寿院釈迦六大菩薩十六羅漢図

後醍醐天皇の第5皇子宗良親王は、北条討伐に加わりましたが、戦いに敗れて捕らえられ、元弘2年(1332)、詫間へ配流となりました。親王が滞在された土地を王屋敷と現在も呼び、昭和9年にその跡地に記念碑が建てられました。

三四郎岩 安土桃山

芝生に大きな長方形の石が置かれている写真

 天正11年(1583)から始まった豊臣 秀吉の大阪城築城で必要とした石は、多くが小豆島から運ばれましたが、詫間からも採石が行われています。石工であった三四郎は、香田浦からの巨石運搬中に誤って、その下敷きになり圧死しました。のち、この岩は三四郎岩と呼ばれるようになりました。

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