町指定文化財(4)

更新日:2020年03月02日

22.郷境

中学校の正門に置かれている郷さかいと書かれた石碑の写真

財田西字叶田の仁池から、山本町役場南境を西に走り、三豊中学校正門をかすめ七宝山をめざす。
ほぼ一直線の農道は、昔の大野郷、山本郷、また近世の三野、豊田郡の境界線であった。
これを郷さかいと呼んでいる。
この郷さかいは、奈良時代の条里制遺構を示すもので、豊田郡の一条にあたる

指定年月日 昭和45年11月3日

23.紙本墨書大埜村両社記

巻物の紙本墨書大埜村両社記の一部が広げられている写真

貞享五戊辰年(1688)五月十五日、丸亀城下善龍寺の僧、丈愚が書いた両社(八幡宮、祇園宮)の縁起である。
両社記中に両社にかかわった僧坊、神田、高井 半十郎、千田 数馬などの記録も書いてある。
幅26センチメートル、長さ6メートルの一巻で楷書漢文体で書かれている。

指定年月日 昭和45年11月3日

24.神田城跡

竹林の中に建てられた神田城跡に建てられた石碑の写真

砂川橋の南東約300メートルに「しろだい」とよばれる神田城跡がある。
頂上からは東に伊予見峠、西に知行寺山、南に財田本篠が望める。城の南面には深さ約2メートルの馬返しの空堀りが2本ある。
中世の山城で南北朝時代のものといわれる。
この山麓の田畑に「城の下」「弓場」「下屋敷」などの地名が今に残っている。

指定年月日 昭和45年11月3日

25.こんぴら道標

石にこんぴらと書かれた道標が立てられている写真

江戸時代後期の弘化4年(1847)こんぴら大門から一里毎に、山本町から豊浜、川之江と続く伊予土佐街道に沿って立てられたもので、伊予の金毘羅講の人達がこんぴら参りの道しるべとして寄進したものである。
町内には、一里、伊予見峠、二里、砂川、三里、は移転され、町役場前の3ヵ所に立てられている。

指定年月日 昭和45年11月3日

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