伊舎那院-関連文化財
常学院(じょうがくいん)
入樋自治会・高橋 正一氏宅は、昔、「常学院」と呼ばれ、山伏の修行道場があったといわれる。その昔、一斗入りの大法螺貝があり、この音の及ぶ限りの山林を領主から与えられたという伝説も残されている。本尊は役小角像、薬師堂には金色の木彫薬師如来像が祀られている。
雨宮神社(あめのみやじんじゃ)
長久4年(1043年)の大旱魃(かんばつ)の時には、農民達が雨ごいをしたところ、雨が降ったので、村人たちは大変喜んで、ここに神社を建てたのがはじまりとされています。神社の杜(もり)は香川県自然記念物に指定されており、境内には大正天皇即位の時に奉納した苗を洗ったという記念の「御苗洗所之碑」があります。
鉾八幡宮(ほこはちまんぐう)
もともとは財田上の村、中の村、西の村に別々にあったものを、天正6年(1578年)に、時の橘城主の大平伊賀守国秀が合わせてまつり、三つの村の氏神としました。ご神体が鉾(ほこ)であったことから、鉾八幡宮と呼ばれています。鎌倉時代末期の木彫りの狛犬が保存されています。
鉾八幡宮境内の「たからだの碑」
大正4年の大嘗祭に際し、財田が数多くの候補地から選ばれるという栄誉を受けました。この碑は、当時の東宮侍従長御歌所長である子爵入江為守が、財田のすばらしい風景と温和な民の心を詠んだ記念碑です。
「たからだの やつかのたりほ かりつみて たみのこころも ゆたかなるらん」。豊穰のふるさとを表すわたしたちの誇りとなっています。
一石一字塔(いっせきいちじとう)
財田川戸川の国道32号線沿いにあり、享保19年(1734年)、この地方の大庄屋・宇野氏によって建立された石塔です。財田の地名の発祥を物語る重要な文章が刻まれたまさに宝塔です。
吉田古墳群(よしだこふんぐん)
町の西部に分布する古墳時代後期のものと推定される小さい円墳です。川原石と花こう岩を絶妙に織りまぜて横穴の石室を構築しているのが、大きな特徴です。当時の人々が知恵と技術を結集してつくりあげたことを思わせます。かつては周辺に20基ほど点在していましたが、現在はその原型をとどめるものは、数基となってしまいました。
本篠城址(もとしのじょうし)
本篠城は阿波・讃岐の交通の要路にあり、要害堅固の地を生かした天然の山城で、二度の大きな戦いが繰広げられた。南北朝時代には財田左兵衛頭義宗が北朝軍と戦い、戦国時代には、財田和泉守常久が長宗我部軍と戦った。山頂には土塁、馬返し、空濠のあと、のろし台などがある。付近には「伯母淵」「財田左兵衛頭義宗の墓」「財田和泉守常久の墓」等があり、待の段、土釜といった地名も残っている。
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更新日:2020年03月02日