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2006年1月1日 更新
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史跡・文化財 1
縄文式土器(縄文)と考古館 縄文
縄文式土器

昭和40年3月、「蟻(あり)の首」にある民家の内庭地下1mから縄文後期の土器が発見されました。祭具として使用されたもので、胴部の長径(左右)10.7cm、器高8.3cmというカボチャ型の広口型小壷で、ほぼ原型に近い状態で残っています。考古館には、これを含む旧石器時代から古墳時代にかけての土器や石器などが陳列されたり、当時の住居跡の変遷がパネルでわかりやすく展示されています。
吉吾鼻(きちごばな)古墳 古墳中期
吉吾鼻古墳

積の稲荷神社の南側に「吉吾の鼻」といわれる東方に突き出た半島があります。ここに長径7.7m、高さ1.5mの古墳時代中期にものと推定される円墳が残されています。主墳から東9mの所には、組み合わせ石棺も残っています。
宗良(むねなが)親王王屋敷跡 南北朝
宗良親王王屋敷跡

後醍醐天皇の第5皇子宗良親王は、北条討伐に加わりましたが、戦いに敗れて捕らえられ、元弘2年(1332)、詫間へ配流となりました。親王が滞在された土地を王屋敷と現在も呼び、昭和9年にその跡地に記念碑が建てられました。
長寿院釈迦六大菩薩十六羅漢図 室町
長寿院釈迦六大菩薩十六羅漢図

李朝時代(1552頃)に制作され、日本に持ち帰られた請来(しょうらい)仏画。縦128cm、横137cmで、麻布に細密描写が施されています。画面の中には釈迦如来を配し、左右に合掌する六菩薩、そして上部には十六羅漢が描かれています。
三四郎岩 安土桃山
三四郎岩
 天正11年(1583)から始まった豊臣秀吉の大阪城築城で必要とした石は、多くが小豆島から運ばれましたが、詫間からも採石が行われています。石工であった三四郎は、香田浦からの巨石運搬中に誤って、その下敷きになり圧死しました。のち、この岩は三四郎岩と呼ばれるようになりました。
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